—— 『ケータイ捜査官7』(1)で桐原大貴役を演じることについて
松田:デビュー作(『天然少女萬NEXT-横浜百夜篇』)(2)に三池崇史監督(3)に出させていただいて、デビュー2作目『多重人格探偵サイコ』(4)でも三池監督とご一緒させていただくんですが、僕は『多重人格探偵サイコ』の5分間くらいの長回しのシーンで、信じがたい48テイクくらいのNGを出すという大失敗をしたんです。その作品が終わった後、三池監督に「僕はこんなに酷いやつだから、しばらく使わないでください。僕に大きな成長が見られたときのみ、できれば声を掛けてください」という手紙を出しました。それから10年近く経ってから『ケータイ捜査官7』のオファーが来たので、「これは試される!」と凄い緊張した瞬間があったのを覚えています。グっと心臓を掴まれるような、「今のお前はどれほどのものなんだい?」って三池さんに言われているような感じでしたね。
—— 役が決まってからのこと
松田:それまでの7、8年の経験で培ってきたものを、とにかく全部出そうと思いました。それから、今振り返れば恥ずかしい話になりますが、「秋山蓮(5)」という1つの成功体験があったので、秋山蓮を作ったときみたいな役作りがしたいなと一生懸命向き合いました。だから、桐原って、たまに蓮に似ている時があるんです。
—— 『ケータイ捜査官7』の1年
松田:当時新人だった窪田正孝(6)君が主演で、桐原はそれを後から支えているような役だったんです。
「自分は出来る」という自信が変にあった分、役作りの時は自分に対して「調子に乗るなよ」と自分を戒めていました。
『龍騎』の時は魂でぶつかるような役作りでしたが、その後はもう少し整理された役作りをするようになっていたので、「初心を忘れるなよ」という感じで、もう一度熱くなるような役作りを意識しましたね。
それを手伝ってくれたのは三池崇史監督であるということと、もう1人『ケータイ捜査官7』で監督デビューをすることになる西海さん(7)。西海さんは僕のデビュー作の助監督だったんです。僕のスタートラインを知っているお2人にガッカリされないように、一生懸命行こうと大変でした。
—— 高野八誠(8)さんとご一緒に、現在のコロナ禍の中でも配信イベントなどを精力的に実施されていますね
松田:高野八誠という人との縁も切れないんだなと思いました。実は高野さんとは、デビュー作の『天然少女萬NEXT』でも共演しています。『仮面ライダー龍騎』で共演した時にはビックリしましたが、『ケータイ捜査官7』では黒幕の大ボスみたいな所にキャスティングされていて驚きました。
高野さんも僕も、観てくれる人が楽しい事をしよう!というのが根底にあります。
俳優という仕事をやっていて、役作りとか身体作りとかイメージのことなどを話しますが、最終的になぜこの仕事をやっているのかという話になると、観てくださった方に楽しんでもらいたいから。芝居によって、恐れさせるのも、悲しませるのも、笑わせるのも「楽しい」の一つ。大きく感情を動かしてもらうきっかけになるところに僕がいたい。というのが、この仕事を続けている一番大きな意味合いなんです。
その部分の原始的な感情が、高野さんと僕とで完璧に重なっているんです。それが今一緒にいろいろやらせていただいている要因だと思います。
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—— 『ケータイ捜査官7』の1年は、『龍騎』の1年とどう違いましたか?
松田:『龍騎』の1年は何もかもが初めてだったので、定規でいえばミリ単位で思い出が刻まれている感じです。それに比べると『ケータイ捜査官7』は、他の仕事や色々なものを抱えながら立ち向かったということもあり、思い出の目盛りがちょっと大雑把というか、ツルっと通り過ぎた感じがします。ものすごく楽しかったし、やりがいに満ちた作品だったのですが、自分の経験がそこをビビらずに通してくれたというのが、もったいないような嬉しいような、なんとも言えない感情ですね。
それまでも演技を突き詰めないと!と思っていましたが、それにプラスして自分に少し余裕が出たのか、現場での自分の在り方についてもすごく考えていた1年でした。現場に対してどんなムードメイカーでいられるか?とか。いろんな意味で、僕自身が俳優としてよりも人間として存在意義を得られた1年だったのかなと思いますね。
—— 役者にとって、長い時間をかけて1つの作品を作り上げることは?
松田:僕は、NHKの朝ドラも経験しています。僕個人の考えでは、俳優にとって1つの役に向き合える時間は、長ければ長いほど良いと思っています。
例えば、朝起きて、コンタクトレンズを着けて、水を一杯飲んで、サプリメントを飲んでというような当たり前の日常のルーティーンをやっている自分を、どうやったらカメラの前に出せるかな?と思うんです。
カメラの前に出る時は失敗したくないので作りこんじゃう、でも作りこまないでそこにいたい。
もちろん、カメラを向けられてそれが出来ちゃう俳優さんもいらっしゃいますが、僕みたいにかしこまっちゃう人もいる。
長い作品は、日常とかしこまりの間を埋める時間に成りえるんです。
だからずっと1つの役を演じ続けることで、何でもない立ち振る舞いがその役で自然に出来るようになるのが僕にはありがたくて。自分とその役が重なり合うこともあって、それが俳優という仕事にとってすごく幸せな瞬間だったりします。
役が醸成されると僕は言ってるのですが、作り上げたものとは違うんですよ。
僕は一時、光が丘(9)に住んでいました。その時に、ちょうど『RIDER TIME 龍騎』(10)の仕事が入って来たんです。だからその時は自転車で大泉の撮影所(11)に通っていました。
光が丘に住んでいた2年間は、大泉に通ったあの1年間を思い出しやすかったです。
自分の原点を改めて見つめ直すような時間になりました。
まだ右も左も分からなかった時に現場に1年間通い続けて、怒られたり怒鳴られたりしながら過ごしたあの1年というのが、やはりかけがえのないものなんだなと思うし、それが今の僕を作っているんだな、大事な時間だったなと思います。
—— 一年にわたり放送される作品が毎年連作のように続いていくドラマはNHK大河ドラマの他は仮面ライダーとスーパー戦隊しかない。そうした貴重な環境が大泉の東映東京撮影所にはあります。こうした状況を背景に練馬区では『映像∞文化のまち』として区内外に発信していきます。練馬区の映像文化の取り組みに対して一言メッセージをいただけますでしょうか
松田:自分の人生を形作る上で、大泉の撮影所という場所が無かったら、今の自分は間違いなく無いです。
僕が撮影所に通い始めた2002年には、連綿と続いている文化があったんです。撮影所では、そうそうたる俳優の方たちが色んな時間を過ごした場所で、「自分も俳優なんだ」という自覚を持たせてもらった大切な場所なんです。
この練馬区には映像作品が作れるという基盤があって、人材がいて、機材とか知識もいっぱいあります。
一度途絶えたら、作り直せないようなものがたくさんあって、大事に守られているのは尊いなと思います。
僕たちも一俳優という立場から、その文化をどういう風に守っていけるのか、何ができるのかと、今日こうしてお話させていただいたことで、余計に考えて行きたいなと思いました。